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[ちぎってシリーズ] [羽二重紙] [古代シリーズ] [苦情係]


新旧和紙講座のお時間です。

伝統的な和紙から、最新和紙情報までちょっと和紙のお勉強です。

外国人が見た和紙・・・

Luis frois . Friedrich August Luehdolf . Berg . Johannes Justus Rein . Dard Hunter .
青木昆陽

伝統技法のご紹介・・・

生漉き奉書、 越前奉書、 鳥の子、 局紙、 大礼紙、 大光紙、 オボナイ紙、 画仙紙、 麻紙、 檀紙、 MO紙、 打ち雲、 飛び雲、 墨流し、 すだれ、 落水紙、 黒透かし、 程村、 雲肌 漉き合わせ、 裏打ち、 鳳凰型押し、 金小雲の吹き付け、 光梅引っかけ柄、 二色引っかけ柄、 雲華紙、 すみれ、 多色引っかけ柄、 雲母揉み、 王朝紙、   

NEW 新製品のご紹介・・・

羽二重紙、 古代鳥の子、 モアレ、 マーガライト、 古典鳥の子、 四季銀河、 銀大礼紙黒、 越前漉かし紋様集、 墨流し 金 メレンゲ、 すのめ大礼紙、 東菊の金、 雲母揉みロール掛け、 ぱすてる、 絞りSUGIO、 揉みいろどり、 四季舞エンボス、 裏打ち揉み、 揉み羽二重、 懐紙用原紙、 ちぎって名刺作成シート、 菊花大典紙、 風雲紙、 揉み百選、四季・5集、和染民芸紙、 長期保存和紙、 二色引っかけ、多色引っかけ、 しらみね、 すだれ雲竜紙、



●外国人や日本の学者が見た和紙●

Luis frois(ルイス・フロイス)ポルトガル人宣教師、1562年に来航し35年間日本で布教する。
「われわれの紙はわずか4.5種があるだけであるが、日本の紙は50種以上ある。…
日本の紙はハンカチ、紙衣 、元結、紙帳など布地に代用し、建具の障子に張られるなど用途が広い
ので種類が多いのであろう」

Friedrich August Luehdolf(ルードルフ)ドイツ、1854年下田に入港
「紙は国内で大量に生産されており、物を書くばかりでなく、壁紙、手帳、ナプキン、商品の包装、着物
に必要とされる」

A.Berg(ベルク)プロシア、1860年来航
「紙の用途がこの国より広いところはおそらくどこにもないであろう。 江戸には、和紙に油を引いて加工した
製品
を売る、傘屋、合羽屋、擬革紙製品を売る帽子屋、煙草屋などある。その質は外見も色調もまさに天然の
皮革に匹敵し、さらにフランスの革の壁紙と見間違うような模造もなされている。」

Johannes Justus Rein(ライン)プロシア、1873年来航
「中国文化圏の中でも…特に日本では 紙とその加工品が幅広く…文書、絵画、印刷、包装用、ハンカチ、
清拭用
以外にも、扇子、雨傘、日傘、提灯、人形の着物、防水マント、帽子、煙草入れ、袋もの、小物、
窓ガラスの代わり、明かり障子
。また荷造りの紐、縄の代用。金糸銀糸の高価な錦織、黒漆を塗って武士の帽子
油紙は雨合羽
に。染めたり皺を付けたりして髪飾りにも」縮緬紙や擬革紙

Dard Hunter(ダードハンター)アメリカ、1933
「和紙を世界最高の紙」と評価した。
「日本人が長い期間、何度も使えるほどの誠実な紙を作ることができるのは、優れた独特の製紙原料を
用いるだけでなく、誠実で有能な製紙技術をもっているからである。
…余談だが、ハンターの文献の間違った解釈が西洋で広がり、和紙をライスペーパーと呼ぶように
なってしまったが、ハンターは本物のライスペーパーを台湾でちゃんと確認している…久米先生談…

青木昆陽(蘭学者)日本、1738年「経済纂要後集」
「我が国の紙は西土より勝れ、見るべきものなり」

佐藤信淵(経世家)日本、1827「経済要録」
「窓及び障子に貼りて、明を受け風を防ぐべく、行燈、提灯、燈籠、に用いて光明殊に宜しく、
傘蓋(からかさ)、油衣(かっぱ)となして、照りつける日を防ぎ、暴雨おも凌ぎ、あるいは煙草入れ、
ぶんこ、甲冑、鉄砲等にも製すべく、万一飢饉の甚だしきに臨みて、紙を以て餅と為し、食いて飢
餓を免るるに足れり」「夫れ、紙の人世に利益を為すこと、斯くの如く広大にして、実に 一日も
無くては叶はざる要物たり」
和紙は、世界万国第一の上品」と断言している。

イサム・ノグチ
「詩的で、はかなく、羽のように軽々としている」

●海外での和紙の評価●

和紙の鼻紙を欧州人が拾い歩く!(http://crosbys.exblog.jp/tags/Xenday/のページより抜粋)
伊達政宗の時代、支倉常長率いる慶長遣欧使節がローマ法王謁見などを目的として派遣されていた頃、
支倉ご一行が行く先々では、異星人か、はたまた野蛮な国の輩がやって来たかと騒がれ、滞在し通過
して行った街街で様々な形での異文化交流や、住民達の驚きの様子が様々な形で逸話として現在まで
語り継がれている。

欧州人の度肝を抜いた鼻紙
ヨーロッパで珍しかった日本の鼻紙
奥州仙台の伊達政宗が、支倉常長一行を慶長18(1613)年にヨーロッパへ親善使節(慶長遣欧使節)として
派遣しました。同年10月28日、支倉常長一行は現在の宮城県の月の浦港を出港し、1年後にスペインに
上陸しました。一行は、スペインからイタリアに向かう途中に嵐にあって南フランスのサン・トロペに避難
しました。その時のことです。支倉常長一行が使った鼻紙を見物に集まった人々が争って拾ったと言う
ことです。この時の様子がサン・トロペ侯爵、同侯爵婦人らの手によって記録され、それが、パリの国立
図書館と南仏のカルパントラ図書館に現存しています。侯爵夫人は、次のように記録しています。
「彼らは、ほとんど掌の大きさほどの、中国の絹の鼻紙で洟(はな)をかみ、1枚の鼻紙は二度とは使い
ませんでした。洟をかむたびに地上に紙を捨てますので、見物に集まったこの地の人々が拾い集めるのを
見て面白がっておりました。彼らは胸にたくさんの紙をはさんでいましたが、長途の旅に充分なだけを持って
きていましたので、こんなことができたのです」。一行の鼻紙は、イタリアのローマでも珍しがられ、ローマの
アンジュリカ博物館と人類学博物館に、今もなお“支倉の鼻紙”とされるものが保管されているそうです
[山内昶著『「食」の歴史人類学』(人文書院1994年)]。
  支倉常長の一行はたしなみとして、伊達藩の紙漉きがつくった鼻紙(懐紙)を十分に用意して日本を出発
したのですが、これがヨーロッパで意外な反響を引き起こし、彼らが無造作に使い捨てる鼻紙が、あまりに
上質なのに人びとはびっくりしたわけです。
  当時の日本では、各地で紙(和紙)づくりが盛んになっていました。仙台市にも柳生(やなぎゅう)和紙が
あります。それ(手すきの里 柳生和紙など)によると、柳生和紙は流漉き法による漉き方ですが、今から
およそ400年前(慶長年間)に、仙台藩主伊達政宗は米作り以外の産業を盛んにするために福島県伊達郡
茂庭村から4人の紙すき職人を柳生によんで、和紙づくりの指導にあたらせました。そして作られた和紙は
藩の御用和紙として使われていた、とあります。支倉常長一行が持っていた鼻紙が柳生和紙であったか
定かではありませんが、身近にあり豊富に良質の紙が充当できたものと考えられます。
  これに対して、そのころのヨーロッパでは紙はまだまだ貴重品で、しかも粗悪でした。亜麻や木綿の
ぼろ布を原料にした旧式の溜漉き法による製造で厚手の硬い紙でしたので、鼻をかむのに上流階級は
布(ハンカチ)で、一般庶民はもっぱら手か服の袖などが使われていたということです。そのため「日本人
たちは、紙で洟をかむとその紙を二度と使わずにすぐに捨ててしまった。見物人たちは、その紙を我先にと
競って拾い、手に入れていた」とびっくりしたわけです。「紙で洟をかみ、その紙を使い捨てる」という習慣が
非常に珍しく贅沢に感じられたのです。
  それからおよそ240年後の1854(安政元)年、江戸幕府は215年にわたる鎖国をときました。開国により、
多くの欧米人が日本を訪れたのですが、そのときも日本人が捨てた鼻紙を物珍しそうに拾ったたそうです。
欧米人たちはハンカチは持っていましたが、鼻紙のようなものは持っていなかったので、日本人が鼻を
かんで捨てたり、ちょっと汚れたところを拭いて捨てたちり紙などを珍しがって拾って歩いたということです。
このころも日本の鼻紙は外国人には珍しかったわけですが、わが国の当時の紙(和紙)は世界でも先行して
おり、非常に誇れるものだったのです。

 

●西洋の和紙コレクション●

1873年ウィーン万国博覧会の理事会編公式文書
「日本出展の 紙類は、きわめて大きな感動を呼んだ」
ロンドン、ビクトリア・アンド・アルバート美術館
キュー王立植物園
グラスゴー、ケルビングローブ博物館、
ライデン、国立民俗学博物館、
コペンハーゲン、国立博物館、
ベルリン、工芸図書館、
ライプチヒ、ドイツ書籍印刷博物館、
パリ、装飾美術館

ロンドン、パークスコレクション、315種
ライプチヒ、バルチュコレクション、2086点

以上は2008年11月30日昭和女子大での和紙文化講演会・久米康生先生の講演より…

●伝統技法のご紹介・・・●

「漉き掛け」
漉いたばかりの濡れた紙の上に、 別の和紙や原料などをさらに漉き掛ける方法です。
代表的な和紙としては打ち雲、大典紙、雲龍紙、大礼紙、など
ちなみに、昭和天皇のご即位の折の御大典の折り、越前で考案された楮の薄葉紙を「大典紙」と呼び、手ちぎりの楮華を
漉き入れたもので、その後の種々の雲龍紙系統の模様の原点となりました。

「漉き入れ」
用いられる素材としては、楮(こうぞ)の皮、い草、杉皮、ソバ殻、金銀箔、など

「落水」
水滴の落下を利用して作る「水玉」柄がその元で、そもそも、水玉は鳥の子の地紙に、藍で染めた雁皮(がんぴ)紙料を
漉き掛け、その上に水滴を落として柄を付けたもの。水滴はやがてジョウロやホースに発展し、雨降り状態に細かく水滴を
落としたのが「落水」柄となる。
薄葉紙では、昭和の御大典の折りに越前で作られた落水模様の「天上紙」があります。

「水切り」
落水のジョウロを渦巻き状に水切りすると「孔雀」柄
横一線に水切りすると「すだれ」柄と変化する。

「漉き込み」
模様を彫った型紙を簀または紗に貼り付けて漉く方法で、
地紙に、型紙の上掛けを漉き合わせ、図柄の部分の地紙が抜け出た、抜き模様を「漉き込み」と呼ぶ

「漉き出し」
地紙の上に図柄を浮き出した模様を「漉き出し」と呼ぶ

「透かし入れ」
漉き簀に、文字や図柄を貼り付けると、その部分が薄くなり、図柄が透けて出てきます。
これが「白透かし」です。
一方、透かしの部分に厚薄があって、立体的な文様を透かし出したのが「黒透かし」です。
現在日本で黒透かしは紙幣にのみ許されていて、民間での製造は禁止されています。

「落としかけ」
飛雲(とびくも)は打雲(うちぐも)と同じ藍と紫の紙料を振りかけます。
やがて、竹の小枝などで点状に振り落とす「すみれ」に発展します。
また、油差しのような容器で線状に振り掛ける「光流紙」などに発展して行きます。

「流し込み」
三椏(みつまた)紙料を鳥の子の上に流し入れ、溜漉き調にゆるやかに揺すり、独特の光彩を表出する
「雲肌」などの方法や、流し込み型に染色した紙料を流し入れる技法などもあります。
また、模様を型どった型枠を用い、着色した繊維を流し込んで模様を作成する技法を指す場合もあります。

「引っかけ」
薄い銅板で作った模様型で、三椏(みつまた)の繊維をすくい上げると型の先端に繊維がひっかかります。
別に浅い水槽に紗を張った漉き簀を木枠に浮かべ、その上に型を伏せると、水中で繊維が開き模様が、
漉き簀に移ります。これを湿紙に漉き合わせます。
繊維を互いに絡ませるのではなく、同一方向に揃える手法は、画期的な工夫と言えます。

…以上10技法は、2008年11月30日昭和女子大学グリーンホールでの第16回和紙文化講演会で石川満夫氏
(1932年生まれ越前和紙を愛する会会長)の講演より。
「越前美術工芸紙−多彩な漉き模様の技巧」を元に、杉原が解釈、加筆しております。
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生漉き奉書(きずきぼうしょ)  
越前和紙の看板とも言える和紙です。奉書の名前の由来は、古く武家社会での公文書として使用され、天皇や将軍の意向を奉じる和紙でした。本来楮100%の厚い紙でしたが、近年製紙技術の進歩により、パルプ主体の奉書が多勢を占めるようになりましたので、特に楮100%の奉書を「生漉き奉書」と呼び区別 するようになりました。
ついでながら、このように記録されています。
●奉書●『昔は三位以上の公家達の公文書に、御教書杉原として使用されていましたが、延年3年(1341年)時の管領 斯波高経(しばたかつね)の頃、良質の由をもって日本第一の折り紙をつけられ、また、将軍ご使用のため「奉書」の印を押すことをゆるされました。その後越前奉書と全国にその名声を高めるに至りました。』
ここに出る「杉原」は奉書より古い和紙の呼び名で
●杉原●『「杉原」は平安時代頃には、すでに上流社会に於いて使用されていたようで、永久4年(1116年)藤原忠実の日記「殿暦」や、仁安2年(1167年)冬の日記「人車記」で安芸守藤原能盛の書いた消息などにみられます。特に鎌倉時代には、京都などを中心に武家社会や公卿社会においても、作文会や和歌会などで、懐紙として漢詩や和歌・短歌・詩歌などを記入したり又、消息(現在の手紙のようなもの)を書くなど大いに用いられました。
後崇光院(1372から1456年)の「看聞御記」や興福寺別当の経覚(1394〜1473年)の「経覚至要抄」、文明12年(1480年)中御門宣胤が書いた石清水八幡宮の願文のお礼として、他の品と共に杉原を贈られた事など。又、三條西実隆(1455〜1537年)の「実隆公記」には、美麗物とまで書かれており、贈物として手みやげとして大変喜ばれ。江戸時代以降は、更に広く一般庶民の間にも重宝され盛んに使用されるに至りました。』
現在でも岩野市兵衛(お父さんは人間国宝!さらに2000.6に8代9代の2代続けて人間国宝となられました。)さん、山口荘松さん、佐々木市右衛門さん、山口喜太郎さん、などの職人さんにより抄造されております。原料は特に那須楮が最上とされ、強靭で繊細な味があり、風格すら感じます。もっとも価格もずば抜けており、浮世絵、木版画、超高級証書用などに使用されます。また用途によっては、土佐楮を使用することもあります。印刷用紙として洋紙屋さんで一般 的に扱われる「奉書」とは全くかけ離れた紙です
。二代続けて人間国宝になられた、岩野市兵衛さんの取材レポートはこちら・・・
補足・・・
人間国宝の岩野市兵衛さんにお聞きしました。「私の腕がいいわけでもなんでもない、原料と水がいいのだ。」とちなみに、市兵衛さんは、限りなく少ないソーダ灰を使って、長時間煮るのがコツ・・・とも。
また、ネリはトロロアオイだけでなく、ノリウツギも使用されてます。(なんでもノリウツギの価格はトロロアオイの何と8倍だそうです。)これも良い紙を漉くためとのこと。
さらに、一歩ふみこんで、薬品の使用を押さえた・・・昔ながらの製法による灰汁煮でハクドも入れずに、純粋な楮だけの和紙を漉いて貰いました・・・密着取材です。

  

越前奉書(えちぜんほうしょ)  
「越前奉書」の職人、岩野秀雄さんのレポートをお届けします。
秀雄さんは、代々の紙漉き職人の家庭に生まれ、小学校の頃から親の紙漉きを習って(♪親も子も漉く孫も漉く〜♪の歌の文句そのまま)いたそうです。戦時中は学徒動員で町内の軍事工場(ここでは紙漉き工場)で満州のお札の抄紙を手伝われたそうです。
やがて戦争が終わり元の奉書漉きに戻ります。勿論この奉書とは楮100パーセントの今で言う「生漉き奉書」でした。
しかし戦後物資の不足により、どの様に紙を漉くか死活問題だったと考えられます。それまでの楮を主体とした原料ではとても供給しきれない状況だったでしょう。
ここで止むを得ず原料にパルプを混抄する事が始まったと考えられます。
当時は「原料入り」と呼ばれたそうです。
これは私の推測ですが、このように全国的な奉書不足を解消するため(好意的に見れば)全国あらゆる産地で機械漉き奉書が生産されるようになりました。
何しろ、一番有名な越前奉書でさえパルプが入っている訳ですから、大手を振って「奉書」の名をつけられたのだとも思います。
さてさて、しかし、しかしながら、私は「でも違う」と言いたいのです。
現在パルプで漉かれる「越前奉書」は正直大変残念ですが、しかし全く別物なのです。岩野秀雄さんが漉かれる奉書は腰があり、「シャッキリ」していて肌合いも素晴らしいです。品位 を感じます。
原料は同じ様なパルプかも知れませんが仕上がりが全く違います。
恐らく、ねり漉きによる繊維の絡み合いの妙と、「板」に依る乾燥工程等々が、この当たり前の原料に息吹を吹き込むのだと思います。
ちなみに越前奉書と名の付く奉書は全て(勿論岩野市兵衛さんも含め)乾燥に使われる板は雌銀杏の木の一枚板で乾燥されます。
その昔、紙漉き場では良く火事があり、真っ先に職人が救おうとするのはこの「板」だったそうです。
この板が紙の表情を決定づけます。代わりの板など、もう二度と手に入りません。職人さん方はみな、この貴重な板を修理しながら大切に大切に使い続けて居られます。
越前では岩野秀雄さん、市兵衛さん以外にも、現在もこの伝統ある越前奉書を漉き続けて居られる職人さんがいらっしゃいます。
三田村蔵次さん、二三四長次さん、岩野友蔵さん、川崎三郎兵衛さん、広田与市さん、佐々木一さん、山口悦司さん、山口和夫さんなど。(順序不同)
==岩野秀雄さんご夫婦の今月の表情==
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http://www.washiya.com/meister/iwano-hideo-2.jpg



そう言えばうちの事務所に「第4回内国勧業博覧会褒状」なる古い賞状が掛かってます。本政奉書、岡本村杉原半四郎、明治28年7月11日・・・よろしければ見て下さい。

 

 

 

 
 


本鳥の子(ほんとりのこ)  
奉書と並んで有名なのが鳥の子です。14世紀頃より記録がのこっており、雁皮100%の紙です。その自然な色が卵色に似ていたためにこの名が付いたとも言われています。やがて、様々な色に染色する「色鳥の子」が生まれ、近年では様々な原料で抄造されるようになり、さらに柄付きの紙まで「柄入り鳥の子」などど呼ぶようになましたので、特に手漉きの無地の紙を「本鳥の子」と呼び区別 するようになりました。この本鳥の子の中にも雁皮100%からパルプ主体の紙まであり、価格的にも随分開きがあります。襖判の紙を指すことが多く、本金の加工や茶室、絵画や超高級復刻本などに使用されます。現在でも(有)やなせ和紙さん、岩野平三郎さん、長田製紙?さんで抄造されております。
  
局紙(局紙)  
局紙、この言葉は比較的最近になって使われはじめました。いまだに鳥の子局紙と言う呼び方もございますので基本的には鳥の子の一種です。ただこの名前のおもしろいところは、この局は『大蔵省印刷局』の局だという点です。明治時代の初め越前で『だじょうかんさつ』(いわゆるお札)が抄紙されていました。やがて大蔵省にて抄紙されることになるのですが、そのときには、福井から7人の職人が越前の技術を伝えるために、大蔵省に赴きました。余談ですが、その方々は『越前の技術を持ち出した者』として、二度と越前の地を、踏む事は許されなかったと、伝えられております。
資料によりますと、明治8年に大蔵省紙幣抄紙局にて越前和紙職人による指導が始まり、2年後三椏の溜め漉きによる印刷局紙いわゆる、局紙が完成しました。
なお、局紙は現在では主に株券(電子化に伴い減少)や卒業証書として多く用いられます。

 

大礼紙(たいれいし)
和紙の代名詞と言えるほど、スタンダードな商品になりましたが、この大礼紙と言う言葉自体が越前和紙協同組合の登録商標だとは、余り知られていません。と言いますのも、この商品が開発された当時に登録商標を取得すると言う考え自体が無かったのです。
今回は長編、大礼紙についてのお話です・・・
さて、そもそも大礼紙は、この呼び名になる前の大正時代に山川源太郎さん(故人)によってすでに発案されており、やがて昭和の時代となり、昭和3年の天皇即位 式の「大礼」にちなんで、大礼紙と名付けられたと、聞いております。
ちなみに、山川さんはそのご子息国友さんから、さらにお孫さんの富数さんへと現在も手漉き和紙を漉き続けておられます。
この「大礼紙」の特徴とも言える繊維の結束は、今でこそ和紙辞典などにも「楮をトロロアオイと明礬で凝固させて花弁の様にする」とありますように、技法はかなりオープンになってしまいましたが、当時は秘伝とも言える技法でございまして、私も詳細な部分は秘密とさて頂こうと思います。この結束の事を地元では「花(華)」と呼びます。この花を作る工程は何度見ても綺麗で、水桶の中に可愛い花が結束して揺らぐ様子は、素晴らしく、心が洗われます。(その内機会が御座いましたら、また別 にお見せしましょう。)

 


 
大光紙(たいこうし)
楮だけでなく、レーヨンで花を作る事も始まりました。
私たちは楮の大礼と混同しないように、敢えてレーヨンの花の大礼は「大光紙」と呼びます。
「楮の花」が落ちついた自然な仕上がりなのに比べ、「レーヨンの花」はピカピカ光るのが特徴です。このピカピカが高級に見えるか、安っぽく見えるかは意見の分かれるところです。
 
オボナイ紙(おぼないし)
オボナイ紙と言う和紙がございます。
不思議な事にこの品名!和紙なのにカタカナですし、明確な定義すらありません。大まかな認識として「花がたくさん入っている大礼紙」と言う程度です。
実はこの名前は、海外で名付けられて逆輸入された名前らしいのです。
ちなみに記録に依りますと、昭和10年頃、滝匠(たくみ)さん(故人)が工夫を凝らした紙で、海外から大量 の注文があり盛んに抄造されたそうです。洋紙のオボナイト紙との関連もありそうですが、憶測の域を出ず、はっきりした名前の由来は明らかになっておりません。(情報をお待ちします)
   
画仙紙(がせんし)  
現在、執筆中  
麻紙(まし)  
現在、執筆中     
檀紙(だんし)  
現在、執筆中   
MO紙(えむおーし)  
現在、執筆中   
打ち雲(うちぐも)

今日11/3から5日まで越前和紙の里では、和紙業界では超有名な岩野平三郎氏
(3代目)による打ち雲作りの実演が行われます。
(同時開催の料紙作りも、大変興味深い内容で工程を見ていると面白い・・・
ですが今回は打ち雲がターゲットです。)

この打ち雲は大変歴史有る越前和紙の有名な技法の一つで、現存している最も
古いモノは1053年頃に作られたそうです。
いわゆる鳥の子の一種(雁皮)の柄モノなのですが、現在、この技法を伝える
のは平三郎さんご本人しかなく、地元の人間でも(私も)目の前で打ち雲が出来

る工程を見るのは初公開とあって不思議な熱気に包まれました。意外にも地元の
人間が熱い眼差しを寄せてました。

青雲と紫雲にて構成され、私の聞くところに依ると青雲は天を表し、紫雲は地を
表すとも言われています。天地ともに紫雲だけというモノもあります。今回の実演
は天地2色のノーマルなもので行われていました。

用途としてはそのまま料紙の他に短冊や色紙に加工され、現在も流通しています。
高級和紙屋さんには必ず置いてますね。

ところで、岩野さんは今3代目ですから遡っても3代前まで・・・その前はどうやって
続いていたのだろう?一旦途切れていたのかな?・・・などと話をしていましたら、
「もともとヤヘイジから教わったんや〜」と岩野さん。ヤヘイジとは信洋舎のこと。
(信洋舎は今は打ち雲は作ってませんがまた面白い職人なので、別にいづれ特集する
つもりです。歴史有る会社です)
・・・つまり岩野さんの3代前のその前にも延々と遡れる技法で有ることが判り、
やはり平安時代から連綿と培われた技術であったのだ!と、妙に驚き、納得しました。

しかし、1000年も同じ柄を漉き続ける技術、またその和紙を求める市場・・・
どちらも凄いです。やっぱり日本人って凄いな・・・

ト ントンと見事なリズムで雲を作る・・・岩野さん。
http://www.washiya.com/view/2000.11uchigumo-1.jpg


小刻みに動かす姿。小指から血が出るほど練習しないと出来ないと聞き及ぶ技
です。(見てると簡単そうですが・・・)
http://www.washiya.com/view/2000.11uchigumo-2.jpg

紙の漉きあがり
http://www.washiya.com/view/2000.11uchigumo-3.jpg

●打ち雲のSHOPへ●   

飛び雲(とびぐも)  
現在、執筆中   
墨流し(すみながし)  
「墨流し」ってご存じでしょうか? よく似たものが海外でマーブリングと
呼ばれています。 越前和紙には人間国宝の岩野市兵衛さんと並んで、
もう一人の文化財が いらっしゃいます。
今回はこの墨流し職人、福田忠雄さんのお話です。
福井県の指定文化財に「墨流し」技法が指定されたのです。
福田さんは仰います・・・この墨流し技法は平安時代の頃からおそらく
王朝人の遊び心から始まったものだと考えられると。 墨と、水と、
ちょっとしたアブラ(鼻の脂でOK)があれば簡単に出来て しまいます。
しかし、一方で、難しいのは「濃い口に染め上げる」事だそうです。
淡色で染めるのは簡単ですが、濃色に染めるには単に墨を濃くすると
いうだけでは濃く成らず、熟練の技が必要で「ほんなもん、簡単に 墨を濃く
すればいいと思うやろ。ほじゃけど簡単に濃くはならんのや」 とのこと。
福田さんの家業はやはり代々の奉書漉き屋さんだったそうです。
しかし、 戦後奉書からいち早く色奉書を開発し小間紙に方向転換していった
そうです。 その技術の一つが「墨流し」技法であったとのこと。
「紙は寒漉きがいいけど、墨流しは暖かい日で、風の無い、晴れた日が いい。
伸びが違う」とのことでした。
大正生まれとは思えない、カクシャクとしたお言葉に身の引き締まる 思いでした。
ちなみに見学OKです。
写真などはこちらに・・・
  
すだれ(すだれ)  
現在、執筆中   
落水紙(らくすいし)  
現在、執筆中   
黒透かし(くろずかし)  
現在、執筆中
程村(ほどむら)  
現在、執筆中   
雲肌(くもはだ)  
現在、執筆中   
漉き合わせ(すきあわせ)  
現在、執筆中   
裏打ち(うらうち)  
現在、執筆中   
鳳凰型押し(ほうおうかたおし)  
現在、執筆中   
金小雲の吹き付け(きんこぐものふきつけ)  
現在、執筆中   
光梅引っかけ柄(こうばいひっかけがら)  
現在、執筆中   
二色引っかけ柄(にしょくひっかけがら)  
現在、執筆中   
雲華紙(うんかし)  
現在、執筆中   
すみれ(すみれ)  
現在、執筆中   
多色引っかけ柄(たしょくひっかけがら)  
現在、執筆中   
雲母揉み(きらもみ、ぎらもみ)  
越前和紙の古典的な技法である雲母(キラ、ギラ)揉みです。 雲母は花崗岩などに多く含まれる鉱物で、この結晶を挽いて粉にします。はがれやすく、耐火性が強く、電気の絶縁にも用いられるようです。きら。きらら。マイカ。うんぼ。などとも呼ばれます。ご覧のように、表面 に金属性の光沢があります。 この雲母をフノリに溶いて刷毛引きし、「雲母引き紙」を作りま す。次にこの紙を揉んで皺を付けます。このとき皺の部分の雲母がはがれ落ちて、独特の柄が出来上がるわけです。 今回の製品は、この「雲母揉み紙」をさらにロール掛けして、出来るだけ平滑に仕上げてみました。 オフセット印刷などは、まず無理ですが、スクリーン印刷や金銀箔押しなどで、超高級ラベルなど、いかがでしょうか?   
王朝紙(おうちょうし)
大正時代に、一世を風靡した和紙がございました。その名は王朝紙。古代の雁皮(がんぴ)紙にヒントを得たこの和紙は、独特の網代状のが特徴で、短冊やかな用の料紙として珍重されました。その後、専用の特殊な布を織る職人が絶えると同時に、この人気の和紙は作れなくなってしまいました。現在残るのはただ一枚梅田氏が所有する布のみで、この一枚を大切に保存しながら、王朝紙は現在も越前和紙の里で漉き続けられています。三椏(みつまた)100%の高級紙です。


●NEW 新製品のご紹介・・・●

羽二重紙(はぶたえし)HA-5501〜  
●印刷適性がよい(加工性がよい)・・・表面強度を上げ、紙粉を少なく抑え、さらに二層漉きによりエアー抜けしにくくなりました。また多色印刷にも耐えられるよう、仕上げております。
●コピー・・・は勿論、熱転写式のワープロや、インクジェットプリンターでの印字も可能です。
●用途が広い・・・従来の和紙に比べ、その厚みのバリエーションが幅広く、さまざまな用途が考えられます。
●にじまない・・・従来の和紙にはレーヨンの花を使用するために、筆書きやペン書きをすると、にじみのでる和紙がございました。この点、楮(こうぞ)の花を使用していますので筆記具を選びません。
●うつらない・・・片面が色付きになっているため、重ねたり貼り合わせたりしたときの裏写りが少なく、また袋物に仕上げた場合にも、内容物が透けにくくなりました。
●色遊び・・・色のトーンをあわせていますので、色どうしの組み合わせも楽しめます。
●アイディア次第・・・両面の色合いと風合いが異なる点を利用して、折り方、印刷、裁断、等々のアイディア次第で、面白い品々を生み出せます。
●バリエーション・・・味わい深い8色に増色しました。厚みも5斤量取り揃えており、挨拶状やパッケージ、お料理マット、ラベル、高級会員券など、幅広い用途にご利用頂けます。
●食品・・・食品用として使用できるよう、蛍光染料は一切使用しておりません。
コピー&ワープロ用紙はこちらをご参照下さい。   
古代鳥の子(こだいとりのこ)HA-5601〜  
羽二重紙同様、印刷適性を重視した和紙です。色合いは伝統的な本鳥の子色とし、細かい雲母(きら)をちりばめ、古典的な表情のなかに、現代の使いやすさを合わせ持つ和紙を作りました。   
モアレ(もあれ)HA-470〜  
地紙の上に様々な色の繊維を流すことで、色の絡み合いの軽快な和紙が生まれました。色の組み合わせにより様々なバリエーションがございます。   
マーガライト(まーがらいと)NEW-10009〜 10356〜  
大礼のレーヨン花を特殊な染料で染めることで、見る角度により花が3色に光る絢爛豪華な和紙です。   
古典鳥の子(こてんとりのこ)NEW-10465〜  
現在、執筆中   
四季銀河(しきぎんが)NEW-10477〜  
現在、執筆中   
銀大礼紙黒(ぎんたいれいしくろ)NEW-10484  
現在、執筆中   
越前漉かし模様集(えちぜんすかしもんようしゅう)NEW-10485〜  
現在、執筆中   
墨流し 金(すみながし きん)NEW-10520〜  
現在、執筆中   
メレンゲ(めれんげ)NEW-10523〜  
現在、執筆中   
すのめ大礼紙(すのめたいれいし)NEW-10547〜10551 (全5色)  
今回は、古典的な大礼紙をアレンジした和紙の再提案です。 ベースになる簀の目は、抄紙するシリンダーに竹ひごを編んだ簀を使用することにより生まれます。現在ではこの竹の簀に似せた金網で抄紙する場合が多いのですが、此の品はまぎれもない、本物の竹の簀の目を使用しています。そのために簀の目がはっきりと出るのです。 また、柄は楮(こうぞ)を使用しており、毛筆は勿論、万年筆、ボールペンと筆記具を選びません。勿論コピーも綺麗に撮れますし、インクジェットプリンターにも使用できます。 色合いも従来の和紙の色合いから離れ、淡い色合いの5色で、より上品な高級感を出しております。 寸法は、A4判が取り都合のよい、菊判にて抄造しました。 便箋や包装紙は勿論のこと、OA用紙やランチョンマットなどにもいかがでしょうか?   
東菊の金(あずまぎくのきん、ぎん、ぱーる)NEW-10552〜  
今回の新製品は「金」「銀」「パール」の和紙です。印刷適性は見た目に比べずいぶん良好でオフセット印刷可能です。 表面が平滑なため、ワープロ熱転写では、綺麗な印字が可能です。 コピーも大丈夫です。 リソグラフも問題ありませんでした。 筆記性ですが、金、銀、パールそれぞれに異なった原料を使用するため筆記性も異なります。私の試したところではパール、銀、金の順番で筆記性が良いようです。 特にパールは話題のぺんてるの蛍光色なども大変綺麗に浮き出したようにのります。 OA用紙や、高級ラベル、高級和小物などのワンポイントにいかがでしょうか?   
雲母揉みロール掛け(きらもみろーるかけ)NEW-10555〜  
今回の新製品は越前和紙の古典的な技法である雲母(キラ、ギラ)揉みです。 雲母は花崗岩などに多く含まれる鉱物で、この結晶を挽いて粉にします。はがれやすく、耐火性が強く、電気の絶縁にも用いられるようです。きら。きらら。マイカ。うんぼ。などとも呼ばれます。ご覧のように、表面に金属性の光沢があります。 この雲母をフノリに溶いて刷毛引きし、「雲母引き紙」を作りま す。次にこの紙を揉んで皺を付けます。このとき皺の部分の雲母がはがれ落ちて、独特の柄が出来上がるわけです。 今回の製品は、この「雲母揉み紙」をさらにロール掛けして、出来るだけ平滑に仕上げてみました。 オフセット印刷などは、まず無理ですが、スクリーン印刷や金銀箔押しなどで、超高級ラベルなど、いかがでしょうか?   
ぱすてる(ぱすてる)NEW-10560〜  
今回の新製品は印刷適性とカラーに注目しました。 最大の特徴は、サイズプレス加工を施した点です。オフセット印刷でも4色印刷可能なように、抄紙しております。 柄は楮(こうぞ)を使用しておりますので筆記具を選ばず、インクジェットプリンターにも対応できます。 もちろん、コピー&レーザープリンターでは羽二重紙同様に、鮮明な印字結果が得られます。 色合いは淡い4色で、原則的に三種類の華(楮の閉じた繊維)を漉き込んでおります。 和紙としましては、かなり表裏差を無くしておりますので、装幀やレターヘッド、商業印刷、パンフレットなど従来の洋紙的な用途に幅が広がり、より使いやすくなったのではないでしょうか?   
絞りSUGIO(しぼり すぎお)NEW-10564〜  
現在、執筆中   
揉みいろどり(もみ いろどり)  
現在、執筆中   
四季舞エンボス(しきぶ えんぼす)NEW-10569〜  
現在、執筆中   
裏打ち揉み(うらうちもみ)NEW-10601〜10633 (1〜33)  
今回は、揉みの加工紙を裏打ち(張り合わせ)してみました。 この裏打ちにより、通常揉みだけでは伸びてしまう柄が伸びませんし、厚紙との張り合わせや、箱や瓶や缶などの様々な素材への張り付け加工も容易になり、また印刷でも紙の伸びがありません。 また彫りの深い揉み型のため、通常の揉みに比べ裏打ち紙がはがれるといった心配はございませんので安心してご利用頂けます。 勿論、このまま印刷を加えずに、高級包装紙や箱張りとしてのご使用も可能です。高級ラベルやランチョンマットとしてもいかがでしょうか?   
揉み 羽二重(もみ はぶたえ)HA-5801〜  
今回は、ご好評の羽二重紙を揉み加工してみました。 両面がフラットな羽二重紙とは、また違った表情が生まれました。 高級包装紙やギフト用ラッピングなどに、アイディアを生かして、いかがでしょうか? 今回の見本は総て、50・/・を揉み加工しています。
●種 類●   薄紅・5801、藁色・5802、威光茶・5803、紫苑・5804、錆浅葱・5805、白銀色・5806、象牙色・5807、香色・5808、   
懐紙用原紙(かいしようげんし)NEW-10690  
文字どおり、たたんで懐に入れておく紙で、『ふところがみ』『たとうがみ』とも言われます。平安時代には和歌を詠むときに正式に使われた紙で、檀紙、奉書紙、杉原紙の類が使用され、菓子をとったり、杯の縁を拭う折りに使用されたりします。 現在では茶道などで使われる場面がが多いようです。 この紙の用途上、食品に直接触れることを想定し、蛍光染料を使用しておりません。 また、水分を素早く吸収する必要があるため、サイズ無し(インキなし)にて仕上げております。そのため、万年筆には不向きですが、毛筆等で筆記しますと、にじみやかすれが楽しめますし、さらに多彩な顔彩で着色して、今流行の絵手紙にもトライされてはいかがでしょう。   
ちぎって名刺作成シート(ちぎってめいしさくせいしーと)NEW-10691  
「透かし」技法により、枠が薄くなっておりますので、簡単に耳付きの名刺が出来上がる越前(福井県)の手漉き和紙です。 折り目をつければ、そのまま簡単にちぎれますが、折り目に水分を含ませてからゆっくりと引きちぎりますと、より毛羽立ちの多い綺麗な耳に仕上がります。 両面を平滑に仕上げておりますので、熱転写型のワープロや、コピー等でも両面に印字できます。インクジェットプリンターでもにじまないよう、加工しておりますが、プリンターの機種やインクにより、多少にじむ場合もございます。 名刺やプライスカードはもちろんの事、割印入りの高級チケットや会員証、クーポン券、また、透明な瓶に張り付けてオリジナルの吟醸酒のラベル等、アイデアを活かしてお使い下さい。
詳しくはこちらをご参照下さい。       
「菊花大典紙」(きっかたいてんし)NEW-10701〜10711 (・.1〜11)  
今回は、越前の独自の技法『引っかけ』を使った新商品です。 『引っかけ』とは地紙の上に、三椏等の繊維を使い複雑な造形の型枠で繊維を一定の方向に列べることで柄を作る、越前和紙特有の伝統技法の一つです。 従来の「引っかけ」はある程度厚めの紙として、『はごろも』見本帳でも提供しておりましたが、今回は「引っかけ」技法を薄紙に仕上げることで、より汎用性を広げてみました。 便箋や包装紙、本の見返し、写真台紙用としていかがでしょう? 勿論、柄は今回の「東菊の柄」に限らず、あらゆる柄にて別抄造可能です。その場合ご希望の色合いに仕上げることも可能ですし、・6のように金銀を抄き混むことや、・11のようにすだれ柄にするなども可能で、さらにこれらの技術のコンビネーションや、当時にオリジナルの透かしを入れることさえ可能なのは、長年培われた越前和紙の技術のなせる技です。   
「風雲紙」(ふううんし)NEW.10721〜10742 (22色)  
今回は、雲龍紙の『花』(雲龍の場合はレーヨン繊維)にこだわったリメイク越前和紙です。 従来の雲龍紙は『花』が盛り上がり表面がざらつき、凹凸があるため印刷がしにくかったり、箱張りにした場合『花』がムケてはがれ落ちてしまうことがございました。この問題を二層抄きにして、『花』を層の中に抄き混むことで解消しました。 また、表面が平滑であるため印刷適性は向上しており、色合いは22色とバリエーションを大幅に広げました。オフセット印刷、レーザープリンター、カラーコピーなどで綺麗な印字が可能となりましたが、残念ながらインクジェットプリンターでの印字と万年筆での筆記には対応していないのが今後の課題です。包装紙や本の扉や見返しとしていかがでしょうか?   
「揉み百選」(もみしゃくせん)NEW.10743〜10775
「四季・5集」(しき)NEW.10776〜10826
「和染民芸紙」(わぞめみんげいし)NEW.10827〜10902  
和染め民芸紙は、越前和紙の上に捺染(なっせん)印刷を施した、絢爛豪華な和紙です。友禅柄などとも呼ばれています。 残念ながら見本帳をあまり作らないため、見本帳冊数に限りがあります。   
「長期保存和紙」(ちょうきほぞん) NEW.10903〜10905  
< 10903>は長期保存に耐える、pH(ペーハー)7の和紙です。 完全中性紙と呼べる和紙です。 原料は日本の紙幣にも使用されている、マニラ麻と言う強靭な靭皮繊維を使用し丈夫です。水源自体がpH7で、蛍光なし、サイズ無しで抄造して完全な中性紙に仕上がっております。 二色程度のオフセット印刷にも対応し、長期保存が必要な書類や、復刻本、神社仏閣のお札などにいかがでしょうか?
<10904> <10905> は上記の商品の改良品で、原料はパルプ主体で、若干のサイズ入りです。pH6ですが、価格も安く扱いも容易で大量の使用に向きます。時間の経過と共に徐々にサイズが利いてきます。 <10905>には、白色度を上げるため蛍光染料が入っております。 和綴じ本や、自分史、俳句集などにいかがでしょう?   
「二色引っかけ」(にしょくひっかけ)
「多色引っかけ」(たしょくひっかけ) NEW.10906〜10922  
越前和紙独自の技法の一つに、『ひっかけ』と言う技法がございます。地紙とは別の原料(三椏や雁皮、マニラ麻など)を別のふねに用意しておき、特殊な型ですくい取り、地紙と漉き合わせることで、柄を付ける技法です。 今回ご紹介の商品はこの『引っかけ』技法を二色にて行えるよう、技術改良を加えた『二色引っかけ』です。 また様々な色に別々に染色した原料を混ぜ合わせて引っかけを行う『多色引っかけ』も併せてご紹介させて頂きました。 今回の型以外の型でも抄造が可能です。 印刷適性については、特に注意しておりまして、インクジェットプリンターの印字でも滲まないよう加工しております。 勿論オフセット印刷やコピーもOKです。紙粉も少なく、毛羽立ちもなく、取り扱いも容易です。   
「しらみね」第3集 NEW.10923〜11316  
特に・1〜157の新柄にご注目下さい。従来の技術を基に、様々な試みを行っております。   
「すだれ雲竜紙」 NEW.11317〜11321  
すだれ柄の上に地紙と同色の雲竜を流しました。 柄はレーヨンのため、インクジェットプリンターで若干にじみますが、コピーやワープロは大丈夫です。    


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